ソレナンテ・エ・ロゲの教育

2025/03/19

久しぶりに書く。かなりバカバカしい思いつきでもあるのでこちらに。


昔むかし、匿名掲示板「5ちゃんねる」がまだ2chと呼ばれていた頃。「ソレナンテ・エ・ロゲ」というネットミームが存在していた。次のようなAA(アスキーアート=文字を使った描画表現)で知られている。

20年越しでは何が面白かったのか意味不明だと思うので、順を追って解説しよう。


「ソレナンテ・エ・ロゲ」の意味と成立背景

このAAは、「それなんてエロゲ?」という当時の定型句に由来している。それは匿名のネット掲示板で自分の恋愛話を始めた人に対し「ウソ言うなよ」と茶化す意味で言われた言葉だった。私も実際のやり取りを見たことはあまりないのだが、「pixiv百科事典」に証言がある。

ネット掲示板などで、美少女ゲームにありがちなシチュエーションを「自分の恋愛話」として話す者に対するちょっと遠まわしに「嘘だろそれ」と言う言葉。

https://dic.pixiv.net/a/それなんてエロゲ?

ここでいう「美少女ゲーム」というのは、「女性キャラクターとの架空の恋愛を体験できるゲーム」と考えてもらえれば十分だ。

つまり、「それなんてエロゲ?」とは、「あなたの恋愛話は『エロゲ』=空想でしょ?」(そうに違いない)という修辞疑問の表現だった。

前提として、当時の2ちゃんねるを始めとする匿名掲示板では、投稿者が自分自身について語る情報は基本的にウソだという空気があった。皆が匿名の掲示板では、知人の話を自分の体験として語ろうとも真実の証明は難しい。そのため疑り深い前提があったのも仕方がない。SNSで語られたことは現実にその人の身に起きたことだと前提されている現代では想像しにくいだろうけども。

また当時、匿名掲示板に張り付いているような人は自身に恋愛経験がないことにコンプレックスを持っていることも多かったらしく、生身の人間との恋愛話を始める人に対しては「嘘言うなよ」「話盛るなよ」的なからかいで対処し心の安定をはかるという風習がみられた。それだけ「生身の人間との恋愛」は至上のものであり、手の届かない葡萄だったのだ。恋愛至上主義はネットの隅々まで浸透していたし、本当にそこから自由な人などほとんどいなかった。


ともかく当時の掲示板の人々は、慣れ親しんだ「それなんてエロゲ?」という言葉を「ソレナンテ・エ・ロゲ」と表記することを思いつき、AAを当てはめ、偉人っぽい架空のキャラクターを作り上げたというわけだ。

ちなみに、同じように定型句から架空の偉人を作ることはよく行われていたようだ。「ググレカス」、「モノウ・ルッテレ・ベルジャネーゾ」、「ブラクラ中尉」など、無数の例がある。



私は「ソレナンテ・エ・ロゲ」でフランス語に興味を持った

当時中学生(高校生?)だった私は、この手の架空偉人コピペが割と好きだった。というより、興味があった。なんとなく知的な感じがするからだ。たぶん、歴史の教科書と同じフォーマットになっているからだろう。どんな教科書にも、歴史に名を残した人の肖像画と名前、生没年が載っている。私は単純なので、お勉強っぽいもの=覚えたほうがいいもの=知的なものと感じられていた。

それに私は架空偉人コピペから知的な感じを受け取るだけではなく、実際に中学生よりも高度な知識に触れていた。例えば「ソレナンテ・エ・ロゲ」について検索してみると、フランス語の綴りと発音の対応関係についてわずかに知ることができる。一部の架空偉人については、「アンサイクロペディア」というWikipediaのパロディサイトで、職業や生涯、著作などの設定が記されていることがあったが、「ソレナンテ・エ・ロゲ」の項にはその名前の綴りについて細かな記述があった。

ソレナンテ・エ・ロゲは、設定では17世紀フランスの人物ということになっている。しかし、AA下の Sorenant et Roage という名前は、フランス語として読んだら「ソールナン・エ・ロージュ」になってしまう。

そのため、アンサイクロペディアでは Sorénanté-Hait Roguet という綴りが掲載当初から併記されていた※。

当時中学生か高校生の私は、フランス語どころか英語の読み方すら不自由であった。そんな中、「ソレナンテ・エ・ロゲ」について調べたおかげで、なにかフランス語の綴りには独自のルールがあるらしいと知ることになった。

その後フランス語をがっつり学ぶということは大学までなかったが、人工言語など別方面で言語への興味を持つようになっていた。また、それまで一次創作で作っていたオリジナルキャラクターの名前の綴りはめちゃくちゃだったが、外国語の実在した名前を調べて綴りを修正するようにもなった。


私のこの体験は、ミームを通じた、見知らぬ誰かからの教育だったといえないだろうか。私はただゲームやアニメの情報を得るために掲示板を見ていただけだが、そこで貼られていたコピペをきっかけとして、私は自分とは縁もゆかりもない文化を知った。

私の周りには、雑談の中でフランス語についての知識を挟んでくるようなディレッタントはいなかったし、ちゃんとした教育者など尚更いなかった。そもそも英語すら嫌々勉強している人間が、フランス語を他人からやれと言われてやるわけがない。やれと言われずにいつの間にか触れていることしか、中高生の私は覚えなかった。


引用の影響力

思えば私が中高生の頃は、エンタメ作品で「ちょっと時間的・空間的に遠い古典」を知り、興味を持つことがしばしばあったように思う。

例えば、『家族計画』という18禁ノベルゲームの移植版をやったとき、シラー 『ヴァレンシュタイン』からの引用台詞があったことを今でも覚えている。具体的な記録は見つけられなかったが、私はその後海外の古典にも手を出し始めたのだった。

他にも18禁ノベルゲームでは、教科書に載るか載らないか微妙なラインの固有名詞を唐突に登場させるのが十八番になっていた気がする。

例えば『Crescendo~永遠だったあの頃~』(2003)では、イギリスの民謡「スカボロー・フェア」をキャラクターの一人が原語で歌い出す場面がある。ほぼ脈絡がないのだが、書き手の趣味で入れましたみたいな紹介が前触れなく入ってくる(世代的におそらく、ライターか企画者の誰かが、サイモン&ガーファンクル版「スカボロー・フェア」を好んでいたのだろう)

友達が少なくて一人遊びをしている中高生の多くは、心動かされた作品の中で紹介されている固有名には近づいてみたいと思うものだ。だからエンタメ作品の中で、時間的・空間的に離れた古典を引用することが孤独な子どもに与える影響力は馬鹿にできない。大人や教科書の読書ガイドで「あれを読め」と指示されるよりもよほど効果があるだろう。


考察内雑学の重要性

時間つぶしのゲームの中で、不意に発生する教育。現代にはそのような例があるだろうか。私がすぐに思いつくのは、YouTubeや個人ブログなどでも盛んな「考察」だ。

ソレナンテ・エ・ロゲの設定が生まれたのと同様に、インターネットの有志たちの手によって、人気ゲームについてのそれらしい逸話が集積されていく。その中に、時間的・空間的に離れた固有名へのフックが隠されることがある。

例えば、『プロジェクトセカイ』のキャラクターの衣装に描かれている花の花言葉はどうだとか、『崩壞:スターレイル』に出てくる「オンパロス」がギリシア語で「へそ」「世界の中心」を意味するとか、「アグライア」がギリシア神話で美の3神の一柱の名前だとか。

私は、例に挙げた固有名を含んだ記述が考察ブログにまとめられたり、YouTubeのコメント欄に投稿されて若い人の目に触れたりするのは、基本的に素晴らしいことだと思っている。そういった雑学の情報源が示されて検証済みであればなお良いが、発端はWikipediaの記述に基づくくらいでも十分だ。調べるきっかけになりさえすればよい。私でも大丈夫だったのだから。「ソレナンテ」の綴りだって当初のコピペ時点では間違っていたが、フランス語的に問題ない綴りにたどり着くことは難なくできたのだから。


現在はYouTubeのコメント欄で、考察ブログで、「ソレナンテ・エ・ロゲ」の綴りめいた教育が発生しているに違いない。信用できる生身のガイドをもたない中高生たちは、きっとそうやって時間的・空間的に離れた世界に踏み出すのだ。


元の創作に魅力がなければならない

ただ、作品総体に魅力があってこそ、「ソレナンテ・エ・ロゲの教育」は発生する。

架空偉人AAの設定も、作品に対する考察も、元のコピペや作品自体に面白さがあるからこそ積み上げられていった。2ちゃんねるの各種のネットミームも、面白さを感じて人が集まったからこそ成立した*2。一部の人にとっては自分の資源を注ぎ込んでもいい創作として取り組まれていたのだろう。そして生き残った一部のコピペには、別次元の知識へのリンクが含まれていたわけだ。

また、作品を受け取った者が強く心を動かされたからこそ、どんな些末な要素にも目をこらそうと思い、馴染みのない固有名にも憧れが生じる。元の作品自体が記憶する価値なしとみなされれば、その中にどんな素晴らしい古典へのリンクがあろうと、わざわざ参照することもなく憧れは生じない。

何にしても、魅力ある作品が登場しなければならない。まずは人を集められるようなものが。あるいは、集まる人はそこそこでも、少数の人を強く感化し、長く記憶に残るようなものが。


定評のある作品に埋め込まれた固有名や些末な知識から、背伸びをしたくなって時間的・空間的に遠い世界に向かい、誰からでもなく教育が発生していく。私はずっとそういう経験をしてきたし、私よりも若い人にそのような経験をしてもらいたい。そのために、私が何をできるのかと考えている。


* Sorénanté という人名は実在しないが、フランス人名にはéで終わる男性の名前がいくつかあるため、その表記にならって語尾をéにしたのだろう。例:André アンドレ René ルネ Hervé エルヴェ

*2 人がミームを評価するとき、最も重視されるのは「ユーモア」だという研究結果があるらしい。

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