『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』(特別編集版)について

2021/11/01

  人から「見た方がいい」と言われたので観た。そういう素直さは捨てないほうがいいと最近は思っている。しかし、結論から言うとあまり楽しめなかった。

 アニメを見ること自体随分と久しぶりな気がする(進撃の巨人4期をネットで見た以来では?)。ただ今回は、私のこれまでしてきたアニメを見る体験というよりは、NHKでありそうなノンフィクションの番組っぽい視聴体験だった(→「#家族」のタグが付いたNHKの番組)。別にNHKの番組を貶す意図はなく、ただ似たような感覚を得たというだけだ。私はアニメの演出には疎くほとんど物語しか気にしていないため、以下はほぼ物語についての感想である。


 戦争があって、軍で育った少女の物語ということで、序盤はヴァイオレットが何をしでかすかわからない怖さがあった。進撃の巨人のガビがしたように、流れるような動作で主要人物が殺害されるのではなどと恐れていた。それはなかったので安心した。フィクション上でも無駄な殺人は起こらないほうがよい。

 彼女の社会になじめない人物の可笑しさや人を殺した罪悪感の描写はどこかで見たことがある感じがした。

 同じ戦場にいる者が異性愛やったら命取りなのではないかという気がした。

 繰り返される「届かなくてよい手紙なんてない」という言葉は、東浩紀の「誤配」に対する当てつけか? などと考えた。私が個人誌を出しているのもある種の手紙を書くことだが、これはできたら届いてほしいが届かなくてもまあ仕方ないことだと思っているので、あまりこちらから何が何でも届けてやろうという気にはなれない。届かなくともそれを書いた私自身にはすでに影響を及ぼしているのでその点で無意味ではない。そういうわけで当の断言には少し違和感がある。
 しかし肝心なのは「親密な相手だからこそ言えないことがある」という点で、なぜ言えないのか、というところを突き詰めれば、家族関係ももっと別の形で(「感動」や「切なさ」「愛」ではなく)描けそうな予感はする。

 ポプラか糸杉かみたいな木が良かった。自分の住んでいるところにはああいう木が生えていないので、あれを見るだけで異国を感じる。どこかにあるような西洋建築や人の衣装を見るよりもずっと。

 スミレをあまり花屋で売るようなイメージがなかった(パンジーならわかるが)。森の木の陰に慎ましく咲いているものだと思っていたが、庭で育てようと思えば全然可能なようだった。

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