映画というものをほとんど観ない私としては珍しく観た。少し前に割と誰もが話題にしていたからだ。しかし映画の中でもホラー映画はなおさら観たことがない(今回がほぼ初めてだ)。その面白さもいまいちわかっていない。
この作品については、登場人物が誰もまったく魅力的ではなく、かつ嫌悪の情を禁じ得ない人たちばかりだった。それぞれの人の生きてきた文脈はごくあっさりとしか分からないのに単に不快な言動だけはする(少女漫画に出てくる名前のないクラスメイトみたいな)ので、別にそういう人たちがいくらひどい目に遭おうと全く同情できない。むしろ同情できないほうがカジュアルに楽しめていいでしょ? という作りなら成功してるのだろうけど。しかし私は彼らのことをかわいそうとも思わないが愉快だとかスカッとするということもなかった。彼らの運命にあまり興味がない。
冒頭数分、男たちがダニーについて「もう別れろよ」みたいな話をしている時点で、クソみたいな奴らだなと思った。とはいえ、誰かの感想で出ていたように、私もダニーの電話には出たくない。でも同じ状況になったら出てしまうかもしれない。運よく今はそういう状況になっていないだけに過ぎない人たちが、「もう別れろよ」「無視しろよ」と何でもないことのように言う。
一方で、ペレがダニーに対して「あなたの気持ちはわかる、自分も同じ境遇だから」とやたら強調してくることについては、個人的に非常に鬱陶しいと感じた(ダニー自身がどう思っていたかについては知らんけどパニック発作を起こしてもいた気がするし、いい作用があったとは思えない)。C.S.ルイスが妻を亡くした直後に書いた本『悲しみをみつめて』の中に、「だれの言うことも、まるで興ざめだ。それなのに私は、他の人たちがまわりにいてほしい」という一節があるが、私はこれに深く共感する。死別を経験したときに何を言われても本当に興ざめである。だいたい、いま人に死なれた人の経験と、かつて人に死なれた人の経験にどれだけ通じるものがあるのか? その二人も、死んだ人たちもそれぞれ何の関係もなかった別々の人間であるし、いま人に死なれた人からすれば、「かつて死んだ人について悲しかった人」の話を延々されても知らんがなと言うしかない。ただ同時に、周囲に誰もおらず誰とも関係をしないのは耐えられない。だから悲嘆の中にいる人間に、「(自分も同じ傷があるから)あなたの気持ちがわかる」と言って擦り寄ろうとする試みはいつもどこか歪で的外れにならざるを得ない。最初はそこから始めるしかないとしても、馬鹿の一つ覚え的にそう繰り返すことが人の苦しみを理解しようとすることではないのだと思う。ペレのはたんに自分の村に弱った人を勧誘するための十八番にしか見えない。だから次の評価は正しいと私は思った。
結局、誰一人ダニーのつらみを1ミリでも本当の意味で自分で考え、理解してくれる人はどこにもいなかった。
作中に出てくるちょっと中二病っぽい、少し前のラノベっぽいディテール、つまりは、投身自殺とか、生殖にかかわる怪しい儀式とか、毛や体液を使ったまじないとか、生贄に捧げるとか死体を使ってなんか組み上げるとか、そういう要素にまったく興味を失ってしまっていることに正直自分でも驚いた。十代のころならもっとノリノリで消費できたのだろうか。でもこういうものはほぼ100%二次元や一次元で見かけてきた自分にとっては、そもそも実写でやられると違和感というか寒さしかなかった。
そして、パニック障害や不安障害と薬を抱き合わせてくるところなどは、一時期流行ったそういう系のエッセイかブログか何かを想起させた。そしてそういう表現がもうクソほどありふれたものになり、面白がるものでもなくなり、単に社会問題として粛々と対処すべき現実となっているのが今だと思う。昨今、娯楽作品にこの手の要素を入れるのは悪手ではないかとすら思う(娯楽になる要素がないので)。ダニーの精神状態や彼女の周囲のテンプレな反応がよく表現されればされるほど、私は既視感を覚え、現実に引き戻された気がしてうんざりした。もうあの頃のように何かすごいものを見たとはしゃいだり、そういう世界があると知って物知りになったような気分に浸ることもできなかった。そういうことができたのは、以前の私が、本当の、何もドラマチックではないパニック障害や不安障害や精神系の薬について知ってはいなかったからだ。つまり他人事だったからだ。他人事でなくなってしまえば、もう無邪気に面白がることは決してできない。
ただ、思春期の自分はそうやって無邪気にはしゃいだり浸ったりしなければ生き延びることもできなかったはずだ。とはいえ最初から必要としなければそれが一番だと思うので、若い人にもこの手の作品はあえて勧めない。というより、それがなければ生き延びられない思春期の人は、大人が禁止したところでもうこっそり手に取っていることだろう。
総じて、世紀末からゼロ年代初頭の作品に興味を持っている中高生(※実写への抵抗なし)には割と親和性が高いのではないかと思う。実際、結末なんかは以下の話のまんまである。
ハマる人にはハマるし、そういう人のほうがきっと語るに値する何かを見つけ出すだろう。自分は見る時期を間違えた視聴者だったのだと思うことにする。