人から見ろと言われたので観た。全体的には面白かった。
様々な要素がミックスされた闇鍋的コンテンツという印象を受けたが、異質な要素がファンタジー世界の中にバランスよく収まっていることには驚きもする。
元の小説が「ハイファンタジー」として書かれてきたことを先ほど知ったが、なるほどこれは確かにハイファンタジーである。主権者やそれに従属する集団、動植物、文化、民間信仰、魔術・精霊関連の設定は仔細に固められていた。
雑談の積み重ねが作る親愛の情
面白かったとはいうものの、前半までは正直生理的に受け入れがたい部分のほうが多く、かったるいなと思いつつ視聴していた。主要女性キャラクターが、まあいきなり非常識な接し方をした場合は除いても、何かと主人公を肯定し慰撫に回るところが気に障った。その象徴が、主人公のスバルが膝枕される場面である。ラブコメでもなしに、こんなに膝枕を多用するアニメも珍しい。
死に戻りするスバルにとっては、多くの場合ある人物に殺されるほどに憎まれても死ぬとニュートラルな状態に戻るわけなので、視聴者としては徐々にキャラクターの負の感情表現が茶番に見えてくる。そしてループの末に落ち着くのが膝枕的なアレなので、なんだかなというところである。その極限がレムだと思う。
レムについては彼女の幼少期からのエピソードも紹介されたが、あまり琴線に触れることはなかった。身を呈して陰のある女の子を守った結果なんだかよい感じになるのは、セカイ系の時代から何度も見た予定調和なので、そこに新しいことは特にない。
この作品がループ構造を通じて描こうとしたのは、良い方にも悪い方にも一回で関係を劇的に変えてしまうような事件よりも、いくら表面的であっても、接する時間の積み重ねが個人のうちに形成してしまう親愛の情ではないのだろうか。スバルは、ループの中で本来関われたはずの何倍もの時間を出会った人々と過ごすので、その分だけ彼ら彼女らの情報に触れる。ただしそれは表層的なもの、たとえば明日の予定や客人に話しても問題ないような些細なことだ。
スバルは実際、双子の重要な歴史、人格の最も深いところについて、数日をループしても大して知ることができない。6話・7話にかけて「要するにぽっと出のスバルに双子たちの何がわかるのか」という反問が頻出するのだが、彼はこれにわからないと答えるほかはない。彼女たちの過去を聞いてもいないし、何十年と過ごしてきてもいない傍観者的立ち位置の人にそれがわかったら逆に怖い。
ただここで考えてみるべきなのは、私たちに何十年来の付き合いの知人がいるとして、その人とのかかわりだって、最初は些細な情報交換の繰り返しだったのではないかということだ。人間関係はくだらない雑談や作業上の協力から始まっていて、関係の中でそれらがゼロになることはおそらくない。また雑談や事務的やり取りの中にこそ、その人の歴史が滲むこともある(当の作品では、スバルが「泣いた赤鬼」を語るエピソードを想起してもよい)。ささいな接触を繰り返すうちに、スバルの中に、出会う人々への幾分かの理解と親愛の情が育っていくことを誰も止められはしないだろう。彼は実際その情によって、関わった人をできるだけ助けようと行動することになる。しかしスバル以外の人間にとっては、彼は初対面のはずなのに慣れ慣れしく、なぜか好かれていることになるというのが悲しいところだが。この「悲しさ」は私がここで伝えるのは難しいし時間がかかるので諦める。素直に作品を順に追ったほうが良いと思う。
13話の破局
作品の最初期から出てくるキャラクター、エミリアに目を転じる。私は中盤まで、彼女は典型的な優等生的ヒロインキャラであって、その枠から出る余地がまったくないと感じていた。彼女は、振り掛かる火の粉を払うか(つまり戦闘に巻き込まれて自衛するか)、他人のために何かをするか以外に、他人に何か求めたり意思表示することがあるのだろうか。私はその手の場面を一つも記憶できなかった。13話の後半までは。
スバルに徽章の件を解決された後、彼を好意的に遇してきたエミリアではあるが、王都で単独行動を始めた上に、王選の場にまで出しゃばってきた彼にとうとう彼女も愛想を尽かすのが13話だ。彼女が「自分の、ためでしょ……」とつぶやいたところから突然、喧嘩別れするカップル的応酬が始まり別のアニメになったので私は驚いてしまった。これまでとは異なり、非常に明晰で徹底した他人(=スバル)への批判と意思表示があったので、この手のアニメでもそれが描かれることがあるのだと認識を改めることになった。もちろん、この場面の声優の方たちの演技が素晴らしかったこともある。
しかも、この破局については「死に戻り」でリセットされる期間に入っていない。その後アナスタシア(だったか?)との会話でいわれる「やらかしたことは絶対に消えてなくならんよ」(16話)というのはエミリアとの応酬についての言葉ではないが、私はこの破局に、激しい殺意や憎悪によるが帳消しにされてきたそれまでの損害とは違った、決定的な破壊を見る。その破壊とは「相手の気持ちを操作しようと試みても、相手は必ずしも自分が思い描いていた通りには動いたり思ったりはしない」と思い知らされる経験のことである*1。それはつまり、自分が自分自身の中で思い描いていた相手のイメージが破壊され、それとは別の、外側の存在が現れることでもある。破局のただ中で、エミリアはスバルの抱くイメージでも視聴者の思い描くキャラでもないことが示される。言い換えれば、そう示せることが彼女の主体性なのである。
スバルとペテルギウスの共通性
スバルの身勝手さとエミリアの言葉の正当さについて注釈を加える必要はない気がする。それは演出が物語っているし、彼女の言葉も衝動的に出たものとしてはちょっとどうかと思うくらい懇切丁寧だった(普段から思ってたことなんだろうな、などというのは私の深読みだ)。実際、この回の愚行で主人公に本当に嫌気が差して視聴を止めた人も多いようだ。ただそういう意見について、わずかばかり彼の事情を代弁しておきたい。彼が、彼女に異常な執着を持ってしまったことには理由がある。第一に、見知らぬものばかりの異世界に放り出された直後の彼が、エミリアの気取らない善意に助けられたから、そして上記に見たように、繰り返される彼女との雑談が関係を作り出してしまったからだ(まあそれなら彼女が自らの出自について思うことをもっと聞いたりとか差別を糾弾することの難しさについて考えろよというのは尤もなことだが)。
以下の記事では、スバルにとって「ニヒリズムを回避して現在の世界を生きるための拠り所」がエミリアであると考えられていた。ここでいうニヒリズムというのは、どうせ死んでも生き返るなら、世界がリセットされるなら、今の世界(ループの一回)で誰が死のうと何をしようとたいした意味はない、という考えだ。しかし、スバルにとってのエミリアのように、いつも(どのループにいても)興味を持って見ることができる他人を持てば、今の回(今の世界)でその都度懸命に何かをすることにも必ず意味があることになるし、その都度の出来事についてちゃんと喜んだり悲しんだりすることができるようになる。
そして、この記事ではスバルと同様に、ペテルギウスもまた信仰対象としてステラ(嫉妬の魔女)を求めていたと考察される。私はたしかにそうだと思った。アニメ版の話を始めておいて何だが、原作小説からペテルギウスの台詞をひとつ引用しよう(なお、太字の部分はアニメでも使われている。聞き取りづらいが)。
「魔女に、魔女、サテラに、サテラぁ、愛し、愛を、愛がぁ! 愛してマス! 愛されているのデス! サテラ、アナタが、アナタがワタシを、ワタシにした! 片時も忘れていな、いないのデス……アナタが忘れても、ワタシは、忘れて、いない!」
第三章82 『愛という福音』 強調田原
「アナタがワタシを、ワタシにした」「アナタが忘れても、ワタシは、忘れて、いない」というのは、まさにスバルがエミリアに対して思っていることそのままではないか。また、屋敷の問題解決編の何回目かのループで、ラム・レムに投げかけた彼の台詞もこれと響き合っている。彼は「ただオレは憶えてんだ おまえらが忘れたおまえらを知ってるんだ」(7話)とラムの前で言った。また彼はループを繰り返す中で、料理の基本と文字の読み書きをレム・ラムから教わったが、そのことを最早憶えていない別のループのレムに、彼は語りかける。「お前たちが、俺にくれたものの、話だよ……」(7話)。
物語の趨勢からすれば討伐されるしかなかったペテルギウスと、スバルは非常に近い存在だった。これは私の邪推でもないと思う。原作小説では、ペテルギウスに対する彼の憐憫や、おそらく通じ合うからこその心の痛みがわずかに言及されていたからだ。
その反応にスバルは心が痛むのを感じた。
同前
自分と似た問題点をもつ人について、その共通性を認めず「俺はあいつとは違う」と憎み切り捨てるのか、それとも、通じ合えるときもあるだろう存在とみなして接近を試みるのか。またしても私は、同一視のそのような両義性をここに見たかったと思っている。「ペテルギウスは俺かもしれなかった」だと陳腐だし言い過ぎだが、アニメ版でももう少し、二者のあり得た歩み寄りを仄めかすような何かがあってほしかったと思っている(無論討伐するなということではなく)。いち視聴者の勝手な希望。