欲望年表(2)日常生活への不時着

2022/12/26

欲望年表(1) 魔法に憧れたころ

この続きです。


中学生('00年代終わりまで)

PCとの出会い、Windows XPのアカウントを生成(~'05-07頃?)

自宅には、父親の趣味のためかPCが置かれていたので、小学生の頃から触ったこと自体はあった。ただ、まだインターネットという空間を知らなかった私にとって、PCはやたら大きなゲーム機の一つでしかなかった。CD-ROMやプレインストールされたいくつかのゲームを遊んだが、あまり夢中になったものはなかった。

転機はWindows XPの登場だ。このころから、使用者ごとにアカウントを分けるという利用方法が浸透したらしく、以前はアカウントの別なく共用していた父のPCにも、私の名前のアカウントが用意された。ほどなくして、私はADSLのスイッチを入れるとインターネットに接続されることを理解し、Internet Explorerが何をするアプリケーションなのかを理解した。ファイルとフォルダの概念も把握した。おそらく中学校に上がる前後のことだった。

PSPを入手('07頃?~)

ほとんど同時期に、私はPSPという携帯ゲーム機を入手することになった。もとは兄が持っていたのを借りて遊んでいたのだが、データ保存の関係でトラブルが起きたため、私も自分用のものを望んだのだった。

(トラブルというか、私が兄のゲームデータを誤って上書きしてしまったのだが、兄は特に責めることはなく許してくれた。私はさすがに申し訳なくなったので自分のハードを持とうと決めた。)

その年の小遣いをはたいて購入したPSPは、CAPCOMの「モンスターハンターポータブル」(以下MHP)とのセットだった。当初はMHP専用のハードとして使い始めたPSPだが、私にとってはその後数年間のコンテンツ選択にかかわる重要な拠点となる。なぜなら、PSPにはゲーム機能だけではなく、インターネットブラウザや画像・音楽プレイヤー機能が備わっていたからだ。

私は、後述するRPGツクール関係のものを渉猟するとき以外は、基本的にPSPのブラウザ機能でインターネットを見ていた。

遊びの個人化が完了(~'08前半?)

中学校前半の状況を確認しておこう。一年目、私はある部活に所属し、その場所特有の人間関係の仕方を学ぼうとしていた。しかし二年目の初め頃になって当の部活の中で暴力沙汰が勃発し、それは教師含む誰の大人の目にも触れなかった(暴力を振るわれたのは同級生で、その人は直後に部活を辞めた)。このまま行くと次の標的は自分だと恐れた私はその部を逃れ、活動頻度が低く人付き合いも希薄な部活に籍を移した(籍を移した先でも暴力沙汰はあったのだが)。

また、学習内容の高度化に伴って学習塾へと通うことになったが、このことも私に人間関係の負担を強いた。小学校からの知り合いとの付き合いや遊びの機会は減る一方、他の中学校の生徒ともゼロから顔見知り程度の関係を築いていくことが要請され、主観的には失敗したり成功したりした。異性には第一印象で怖がられたり軽蔑されたりすることが多いと感じたが、その原因がよく分からなかった(嫌悪感が私の思い込みだった可能性もある)。今もよくわからないが、もう関わることはないのでその人たち個々人の性質を云々したところで仕方がない。ただ私はそれまで自分が思っていたよりも、他人から見て付き合いにくい人間らしいと理解した。

一度、先述のMHPを携えて、中学で知り合った友人Sの家に遊びに行ったことがある。MHPは協力プレイを一つの売りにしていたゲームだったから、その場でも私はSと、またその友人と一緒にモンスターを倒す流れになった。

ただ私は、アクションゲームの操作一般があまり上手ではなかった(たぶん関係があるが、自動車の運転も苦手だ)。足を引っ張りまくった私にSの友人がだんだん不機嫌になっていくのを察し、私は用事があったことにして、キリのいいところでその場を逃げ出した。その日は私たちのほかにも何人か人がいて、入れ替わりは多少あったから、あまり気にされることなく去ることができたようだ。

その後、クラスメイトの家を訪れて遊んだ記憶はあまりない。またこの挫折を通して、私にとってゲームは基本的に一人で向き合うものになった。

部活を移ることによって浮いた時間を私は何に費やしたか。3つに大別すると、ゲーム制作と小説執筆、Web小説とライトノベル、そして美少女ゲームだ。だいたい並行しているので、この順に解説していきたいと思う。

ゲーム制作・小説執筆(未完)('08頃~)

これらは、どちらも小学校以来の妄想が基礎にあった。

インターネットを散策するうちに私が知ったのは、世の中にはどうやら自力でゲームを製作できるツールがあるらしいということだった。そこで私は、妄想してきたSF=ファンタジー世界設定の内容をより精緻化し、ゲームに落とし込むことを考えた。元々が「ロックマンエグゼ」シリーズ等のゲームに由来する妄想だったから、うまくはまってくれるはずだと思った。

私はある無料ツールをダウンロードしてゲームを作り始めた。そのツールは基本的にはGUIだけでRPGを作ることができたが、任意のシステムを実現するにはC言語の知識を必要とした。私はいくつかの解説サイトを巡り、手探りの状態でコードを書き、アイテム合成のシステムなどを作っていた。下手ではあったがドット絵の改変等もしていた。また、ゲーム制作のノウハウを集めているうちに、フリーゲームや「RPGツクール」の名前も知ることになった。

凝っているうちにマップやキャラクターの画像を用意することに疲れ、またどうしても変更できなかった仕様に不満を覚え、3年生になるまでにはそのツールを放棄した。私はかねてより目を付けていた「RPGツクールVX」を購入し、新しい環境で制作を始めた。当時は、PSPでいくつか「テイルズオブ」シリーズをプレイしていたので、理想はあのような雰囲気をもつ国産長編RPGだった。しかし、理想を追求すればするほど個人の制作の限界に直面し、結局そのゲームは仮にでも完成を見ていない。ゲーム制作自体は、RPGツクールに環境を移行してから高校を出る頃まで続けられたが、一番力を入れていたのは、中学の後半から高校1年の間だったと思う。

中学生のうちに、キャラクターのビジュアル、名前、使用する武器や技術、世界設定、大まかなストーリーの流れなどがほぼ固まっていた。ただ、これらの断片的な情報は誰にも公開されなかったし、今後明かす機会があるかもわからない(おそらくないと思われる、少なくとも田原夕の名義では)。


もう一つの妄想の系譜は、ゲームではない展開を見せた。「予知能力をもつ少女」の物語は、その能力の由来として神霊のような存在を設定に加えつつ、いわゆる新伝綺のような小説を目指して大学ノートに書かれていったが、こちらも完結を見なかった。また、何の影響を受けたのか憶えていないが、100年後の日本国で盗みを働きながら生きていく若者たちを描く小説も新たに書き始められた。しかし、こちらも高校時代に続くことなく途絶している。

この未完結の2本の特徴は、ファンタジーやSFの要素を残しながらも、主要人物の心情吐露の場面が多くみられたことだ。特に後者の未来の物語は、『ドラゴンラージャ』のフチ視点の文体に強く影響されて書かれ、ままならない現状に対して主人公がシニカルな内語を行うことに労力が割かれていた。これら2本の執筆はのちに高校時代でいくつか書かれる小説のレッスンとして機能した。これまで触れてきたフィクションから取り込まれた妄想の中で、自らが日常生活に対して持つ鬱屈の表現が芽を出しかけていた。

ちなみに私がゲームや小説という形式を採用したことには、漫画を描けなかったという要因もある。まだ小学生のころ、鉛筆でネームを描こうと試みて、あまりの面倒くささに2ページ程度で諦めたことがある。その後ポージングや構図を学ぶこともなかったし、本格的な道具を入手できる見込みもなかった。ただ、人物や道具のイメージを固めるために鉛筆でイラストを描くことはあったし、好きではあったので、もっと絵による表現に慣れていたら漫画にも挑戦していたかもしれない。

Web小説('07後半~'10)

私が中学生のころは、「小説家になろう」や「エブリスタ」などの小説投稿サイトはすでに開設されていたが、10年代半ばほどの知名度はまだなかった。当時ものを書く人たちは、個人でHPを開設し小説を掲載していることが多かった。私は小説サイトのリンク集からHPを巡り、自分の好みに合いそうな作品を探した。当時好きで追っていたのは、精霊と契約し特殊能力を用いる中学生たち数名が、学園生活を送りながら怪異と戦っていくという物語だった(シリーズ名は「異空間の司」。現在サイトは閉鎖されているが、第3章までは『小説家になろう』に残っている)。人物造形が丁寧で、漫画・アニメ的な類型をたどりながらも心理描写が抜群に優れていた記憶がある。その小説には挿絵らしきものは一切なかったが、私の頭の中には人物たちの姿がはっきりと像を結んでいた。とくに炎と剣? を用いる愛理という主人公格のキャラクターが非常に印象に残っていて、のちの作品の選択に影響したかもしれない。

ちなみに今回のために「異空間の司」を読み直して、いつかこの小説について論じたいと思えてきた。気が向いたらやります。

美少女ゲームを本格的にやるようになると、あまりWeb小説は読まなくなってしまった。

ライトノベル('08頃?~'11)

中学時代は図書館から足が遠のいていたが、たまに訪れた時には児童書コーナー以外をうろついていた。詳しい事情は覚えていないが、『空の境界』の講談社ノベルス版が置かれていたので、借りて読んだ。おそらくインターネットを通じて知ったのだった気がする。表紙に主人公の両儀式が描かれこちらに睨みを利かせていたので、借りるのに少し躊躇した。

『空の境界』を読み始めてみると、抜群に面白かった。死がどうの信仰がどうのという小難しい話は雰囲気しか分からなかったが、当時の内省気分にうまく合致していたのだと思う。やめ時がわからず深夜まで何時間も続けて読んだ。ドラゴンラージャと同じく、読了までにはそれほどかからなかった。

図書館に同じ系統の本(つまり講談社ノベルス)が並んでいることに気が付いたので、私は次に西尾維新の「刀語」から「物語シリーズ」へと進んだ。面白いとは思ったが、いずれも空の境界ほどのインパクトは与えなかった。とくに刀語の結末は何か虚しさが漂うもので、こういうことを軽々と行えてしまう作家には戸惑いを覚えた。そのようにどこか露悪的に物語世界を消尽させてしまうのがおそらく西尾維新の魅力でもあるのだろうが、私は以後もそれに慣れることがなかった。

ライトノベルも、美少女ゲームを始めた以降はあまり読まなくなった。高校時代に読んだ作品がいくつかあるが、どちらかというと他のメディアの関連作品ばかりとなる。

美少女ゲーム('09? ~)

発端は、兄に何かのマンガを貸してもらおうとしたときに、あるゲームのパッケージが目に入ったことだった。それは忘れもしない、『あかね色に染まる坂』(制作:feng)のPSP版だった。何かの場面のスチルを見て、これがもしかしてギャルゲーというヤツなのか? と当時の私は思った。後日、あまり期待せず暇つぶし程度にと、私は兄からディスクを借りてゲームを始めたが、これが予想外に面白かった。

私はそれまで、美少女ゲーム・エロゲー(ギャルゲー)というのは、脈絡もへったくれもなく二次元キャラクターにどれだけ性的な悪戯をできるか試みるゲームなのだと思っていた(ある意味で間違っていない認識だが)。しかし蓋を開けてみれば、それは選択肢によっていくらか物語の展開が変わる、音声付きの紙芝居でしかなかった。だから私はライトノベルやWeb小説を読むのと同じ感覚で入っていくことができた。私は『あかね色』をクリアしたのち、次の美少女ゲーム作品は何を買おうか目星をつけ始めていた。もちろん資金が無限にあるわけではなかったから、手を出す作品は評判を調べた上で厳選し、ときには兄に資金協力も取り付けたり、中古販売店を駆使したりした。

中学までにクリアしたはずのもので、有名どころを挙げておこう。なお、当然ながら当時中学生の私がやったのはすべてR18シーンを除いた移植版である。

  • 夜明け前より瑠璃色な(オーガスト)
  • 水月(F&C・FC01)
  • この青空に約束を(戯画)
  • CROSS☨CHANNEL(FlyingShine)
  • 家族計画(D.O.)

あまり話題にされない作品まで網羅的に挙げたり、一つ一つについて振り返ったりするとキリがないので今回そういうことはやらない。ただ私は『あかね色』から入ったこともあったのか、美少女ゲームというと、現代日本の高校が舞台で、ファンタジーや戦闘的な描写は影を潜めた恋愛物語というイメージを強く持っていたし、そういう作品を選ぶ傾向にあった。もちろん、そんな作品はジャンル全体でみるとごく一部にすぎないのだが。

それと、ここでKey作品が全く挙がっていないことに気づいた向きもあるかもしれない。私も一度、兄が持っていた『AIR』を借りてみたことはあった。しかし、ヒロインの描写がそれまでの作品とは異なりすぎて生理的に受け付けず、1週目で断念してしまった。それ以降、なんとなくKey作品には手を出せなかった。唯一最後までやったことがあるのは、『planetarian 〜ちいさなほしのゆめ〜』である。私はこの作品で「ロボット三原則」のことを知った。

中学生の私が美少女ゲームから学び取ったことはなんだったのか。それはもちろん作品ごとに無数にあるだろうが、ここでは4つに絞りたい。

1. 理想世界は遠くにある
『あかね色』のような、人徳のある人々が互いを思い合うような事態は私の世界では起こらない。あれは理想的で望ましいが、私はその世界にはいない。そう強く思った。とくに『あかね色』は主人公のキャラクター付けがはっきりしていて、当時の私自身とは似ても似つかぬ快活で異常に気が利く人物だった。私は主人公の背後から、誰も彼もが人格者のすばらしい箱庭を覗かせてもらっていただけだ。私にとって美少女ゲームの経験とは概してそういうものだった。

2. 自分の認識自体を主題にする
『水月』は、「夢」の内容や解釈が大きく物語を左右する作品だった。何が事実で何が主人公の錯覚なのか、進め方によっては全く分からなくなる場合もある。胡蝶の夢といったらいいのか、人間の認識のあやふやさをずっと問うているような物語で、ときに私が現実世界の事柄から距離を取ることを助けてくれたかもしれない。

3. 集団への不信と向き合う
田中ロミオ作品は、といってしまうとものすごい単純化になるが、集団というものに対してアンビバレントな態度を描いているように思われた。どうしても人は何か集団をつくって互いにコミットし合いたいと思い、実際にそうするのだが、そこにあらゆる凄惨な暴力と排除が始まる(私が最初の部活で見たように)。田中ロミオの描く主要人物たちは、誰かとともにいることは望んでいるが、集団を本当には信じていない。その感覚が当時の私に深く響いた。要するにヤマアラシのジレンマなのかもしれないが、うまく喩えられたからといって何が変わるわけでもなかった。私は、私自身の集団への不信に向き合うことを田中ロミオ作品によって要請されたような気がしたし、成人した今でもそれに向き合い続けているともいえる。

4. 恋愛まわりの事柄のむずかしさ
これは先ほど挙げていないのだが、『φなるアプローチ2』という作品がある。私がこの作品でずっと記憶しているのは、ヒロインの一人がかつて主人公と交際し、破局したという設定になっていたことだ。主人公はその破局を2年間引きずっており、物語開始時点でも未だリハビリ途中というわけだった。当時の私はもちろん現実に誰かと交際したことも破局したこともなかったが、人と人が本気で付き合うとそういうことも起こるのだろうな、本気なら2年はあり得るわけだと得心した(もちろん現実では人によるだろうが、そういう「重い」恋愛もあるらしいと知ったということだ)。

他にも、美少女ゲームでは恋愛まわりで現実に避けられない気まずい事態が描かれることがある。ありがちなのは、嫉妬の処理や、恋愛の相手と家族との関わりの処理などだ。私はこういったものを描くコンテンツにそれまで触れたことがなかったので印象深かった。この点は、のちの少女漫画や女性向け漫画への関心に繋がっていくことになる(とはいえ価値基準や強調点や売出し方はしばしば異なるので、同じだと強弁するつもりはない)

また、恋愛まわりでみられる嫉妬や独占欲をどぎつく強調すると、所謂「ヤンデレ」「メンヘラ」的な形象が現れる。私は美少女ゲームの中でそれらと事故的に遭遇した。例えば『CROSS☨CHANNEL』の中で、某人物が腹を切ったときは衝撃的すぎて何が起きたのか理解できなかったし、そのせいで彼女のエピソードだけ記憶がない。やがて高校時代の私は、知的好奇心や怖いもの見たさから、それらの「ヤンデレ」「メンヘラ」的要素を(まずは男性向けのジャンルの中で)追っていくことになる*1。


写経とエッセイ('09? ~)

私は美少女ゲームを始めたころから、作品の中で印象的だった文章を紙切れに書き写すようになった。写経である。電子的メモが可能なPSPはゲーム起動中なわけだから、メモするには筆記用具を使うしかなかった(共用のPCはいつでも起動できるわけではなかった)。内容としては、『水月』に出てくるような小難しい話、要するに人間関係はたいへんだという話、センスがいいと思われた掛け合い等が多かった。

それと並行して、エッセイのような、自分に対して何かを説得したり告白したりする文章をノートに書き始めていた。日記といえるほどの頻度はなく、ひと月に数回書き足される程度だった。憶えているかぎりでは、小学校の友人といかにして関係が切れていったかを振り返ったり、なぜ物事は変わってしまうのかと嘆いていたり、人間を嫌うとは、嫌われるとはどういうことかを自信ありげに語っていたりした。

これらの紙切れやノートは誰にも公開されなかった。特に自分の創作のアイデア帳という立ち位置で行われたのでもなかった。ただ、倫理的というか自己啓発的な教えへの志向が私の中で育っていたのは間違いがないようだった。

その他

ラジオドラマ('08?~'10後半)
私の家庭では防災用に携帯型FMラジオが支給されたので、それを夜に起動してたまにNHK-FMを聴いていた。音楽番組と、青春アドベンチャーというラジオドラマが楽しみだった。しかし内容は全く覚えていない。
PSPには「ポッドキャスト」の受信機能が搭載されていたため、私はそこでもラジオドラマを渉猟した。ただ、今でも内容を記憶しているほど思い入れのある作品には出会えなかった。トーク番組的なものには全く興味がなかった。

2ちゃんねる('08後半~)
当初はたしかゲームの攻略情報を求めていて、2ちゃんねるにたどり着いたのだった。それまで私はインターネット上で人々の罵詈雑言を見たことがなかったので、初めて見たときはけっこうな衝撃だった。当初の怖そうな印象から私は原則的にROM専であり、書き込んだことはほとんどない。2ちゃんねるでは主にPSPのゲーム情報を探したり、なぜか「もてない男・女」板(喪男・喪女板)を見ていたりした。


妄想から日常生活へ

ここまでの流れをまとめてしまうと、私の関心は、徐々に現代日本の日常生活へ、特に人間との関わり方へと移行し始めていた。その決定的なひと押しとなったのは、明らかに美少女ゲームとの出会いだった。

しかし魔術的な妄想への跳躍力がまったく消失してしまったわけでもなくて、その半分は、日々押し付けられる常識あるいは多数意見から遊離するための力として、言い換えれば現実のメタ認識の力として、日常生活の裏面で機能した(ウインドウは出ないが行われているバックグラウンド処理のようなものだ)。教員や友人から伝えられる教えをいったん保留にしておき、後でその教えを状況から切り離し、一般的に受け入れ可能か検討するという手続きが考え出された。この保留・切り離し・検討に、妄想と同じ頭の部分が使われた。

また、人間関係についてメタ的に考える場をもつためには、その場が当の人間関係から切り離されていないといけない(と当時の私は思った)。だから、一つの部屋と、一つのPSPと、隠されたノートが絶対に必要だった。もしそのような個人化の条件がそろわなかったら、つまり私が自室をもたず、いつも誰かと一緒にゲームをしたり、妄想を共有したり、友達と面白フラッシュを見ていたりしていたら、人間関係についてあれこれ考えずに済んだのだろうか。ただ、そもそもそんな仮定が可能なのだろうか。プライバシーを持たない中学生が存在しうるだろうか。プライバシーの拡大が人を中学生にするのではないだろうか?


情報源としてのインターネット

高校時代と比較して言えるのは、この頃の私にとって、インターネットは情報を一方的に与えてくれるだけのものだったということだ。先述のとおり、私は2ちゃんねるに書き込みをしなかったし、部活(2つ目)のためにホームページを作ったりしたものの、本格的な発信の意欲はなかった。そもそもこの頃の私の創作は途絶してばかりだったので、世間様に公開できるような整った事柄は何もなかったし、自分のために書いたり写経したりし、それを机の引き出しに蓄えて満足だった。

しかし、永遠に自足するということは無理なようだった。私の高校時代は、インターネットでなにかを発信するようになるプロセスだった(例えばホームページ、ブログ、そしてTwitter)。そして高校は、初めてオタク趣味を持つと公言する人たちと関わった場所でもあった。結局、私はそこでも誰かと一緒に遊ぶことはできなかったのだが。


正直、もう一番の変化は終えてしまったと思うが、消化試合のような気分で高校時代についても書こうと思う。大学以降は今のところ書く予定はない。挙げるべき作品が固まる気がしないからだ。



*1 先んじて言っておけば、愚かで軽率なことだったと思う。若い人には、絶対に必要でないなら深掘りすることは全く勧めないが、この文章を読んでいる時点でもう手遅れのようなものだろう。覚悟を持って進んでほしい。私にはあなたの実生活を助けることはできない。

QooQ