『言の葉の庭』について

2023/01/12

以前から知人に勧められていたので観た。

二言あたりでまとめると、職場の人間関係がマジで終わって仕事に行けなくなったアラサー女性(高校教員)と、靴職人になりたくてしょうがない高校生がなんとなく仲良くなる話なのだが、どういう決着になるかというと、高校生が女性に告白して、女性やんわり受け流す、高校生がめちゃめちゃにキレて暴言を吐く……という感じである。

話の筋はなんてことはないのだが、解釈に迷う点がいくつかあり色々と考えることになった。そういう場合私はだいたい良い作品に分類しているが、作中でなんとなく良い場面っぽく演出されている場面をたんに良いで済ませてよいのか分からないところが多い。でも良いと思えなくもない(生理的な感覚に立った場合は特に)。以下は割と錯綜した文章になってしまった。


感想をいくつか見ていてまあ言われているのが「15歳と27歳って犯罪じゃん」「生徒と教員って犯罪じゃん」という点なのだが、それはそうですねと言わざるを得ない。私としては(二次元であれば)視聴できないほどの地雷シチュエーションではなかったが、それはそれとして二次元作品も現実と地続きなわけだから、その辺の葛藤は回避しないに越したことは無い*1。漫画では、『私の少年』などを参照。

自分としては、両者が新宿御苑を完全に自分の部屋扱いしていることのほうが気になった。誰もいないからって公園でペッティングを始めるな。ホテルへ行け。こういうツッコミを誘うあたり、この作品は教師と生徒とかそういうのとは別次元で(も)いかがわしいのである。この世界に私とあなただけではなく第三者もいるということを完全に無視しているというか。まさにそれが新海作品の魅力でもあるのだろうけど。「天気なんて狂ったままでいいんだ」(©帆高)を感じる……


この作品には疑問点というか解釈が必要な点があって、ぼーっと見ていると、主要人物の言動の大部分が理解できず終わってしまう。ということで2つほど解釈をしなければならない。


1. なぜタカオは告白したのか、そしてブチギレたのか?

彼はユキノに向かって淡々と「あなたのことが好きなんだと思います」と告白したあと、彼女にやんわり受け流されると、物分かりがいいふうにすぐ帰るのだが、しばらく経って追いかけてきたユキノを見るなりブチ切れる。

ぼーっと見ていると、情緒不安定すぎてこいつ大丈夫かと思うところだが、とりあえず彼は何が気に入らなかったのかを一回考えてみよう。

タカオは、自分が靴を作っていること、それを仕事にしたいと考えていることなどをユキノに話していた。相手はそれを否定しないだろう、今は勉強しろとか、頭の固い大人が言いそうなことは言わないだろうと思っていたからだ。

終盤、彼が淡々と好意を伝えたのは、ユキノのことを肩書きにとらわれずに話すことができる相手だと思っていたからだ。要するに、彼女は自分を子ども扱いしないだろうと思っていたのだ。


しかし彼の考えは間違っていた。ユキノは彼の告白を真面目に受け取らない。彼女は、(元)教員という肩書きを示して答えに代えた。そのことが彼には気に入らなかったのである*2。幻滅した彼は、過去のやり取りに対して穿った解釈を施す。彼女は結局、ほかの頭の固い人と同様、自分のことを夢見がちなガキと見ていて適当に調子を合わせていたのだと。そして彼は次のように叫ぶ。

「俺が何かに……誰かに憧れたって そんなの届きっこない 叶うわけないって、あんたは最初からわかってたんだ! だったらちゃんと言ってくれよ!」

まあ確かに、本心で話せると思っていた相手が突然肩書きを強調してくることには一抹の寂しさがある。例えば客である自分が、理容室の店員である人と顔見知りになり割と色々話せるようになったとする。しかし、すべて終わって料金を言われて財布を開くときには周りの温度がすっと下がった気がする。そんな感じだろう。

タカオは、自分が親密だと思っている人との交流と、肩書き上の付き合いが混じることが許せないのである。肩書きじゃなくて一人の人間とちゃんと向き合えということでキレたのである。私は彼がキレたくなるのも理解不能ではなかったし、意味の無い逆ギレだとも思わなかった。そういう生身の付き合いみたいなものこそ、昨今考えられている親密な関係に求められるものだと私も思うからだ。社会上の設定みたいなものを解除しようとする力が(ある時代の)恋愛の一側面でもあり、その力に何か希望を賭けたくなる気持ちはある。


ただし彼の気持ちが分かったからとて、彼の逆ギレは筋が通っているということには当然ならない。自分は教員だとユキノがはっきり言わなかったからといって、自分について言葉少なだったからといって、彼女が遊び半分でタカオを観察していたことになるのだろうか。彼女は短歌を投げかけることによって、自分の職業を仄めかしていたのではなかったか。ではなぜそんな迂遠な手段をとったのだろうか。その辺りを次は解釈しよう。


2. なぜユキノは短歌をふっかけたのか

ユキノは「自分のことは何も話さない」とタカオにキレられていたが、それは正確ではない。話してはいた、ただし常に暗喩的で漠然とした形で。

  • 自分の職業については、万葉集の紹介に代えた
  • 自分がなぜ平日午前中にフラフラしているのかということについては、「上手く歩けなくなってしまった 色々と」と述べた。
  • タカオから「ユキノさんが好きなんだと思います」と言われると、「ユキノさんじゃなくて、先生でしょ」と煙に巻くような返事をした。

なぜ彼女はこういう持って回った話し方をするのか? それが新海誠の趣味だと言ってしまっては終わりなので、ここでは彼女が女性として描かれていることにこだわろう。

一般的な話をしよう。明らかに相手が自分より膂力で優れていて、声がデカくて潜在的に恐ろしい存在のとき、その相手に対して何かはっきりと「NO」と言えるだろうか?

相手が自分に対して小賢しくアドバイスしたり更なる説明を求めてきたりすることが予想されるとき、自分の抱えている問題について仔細に話そうと思うだろうか?


要するに、コミュニケーションの相手や聴衆が自分より何らかの意味で強いとき、自分の意志をはっきりと、具体的に簡潔に伝えることなどできない。そんなことをしたら即刻自分が痛い目に遭うだけだからだ。それで曖昧に笑ったり誤魔化すような言い方をしているうちに、そういう言動が板についてしまうことだってあるのではないか? それは彼(女)のせいなのだろうか?

たとえば、星里もちる『本気のしるし』に登場する浮世という女性は、人からなにか無理な依頼をされたときも、はっきりと断ることができず、なんとなく笑顔でごまかそうとしてしまう。それがしばしば婉曲的な合意にとられたり、かえってミステリアスで誘惑的な印象を男に与えてしまったりする。結果、彼女は断りきれなかった事柄と、「勘違いさせられた」という男の訴えで二重に苦しめられることになる。しかし、彼女が自信を害する依頼や誤解をはっきりと撥ねつけられないのは、彼女が怖いと思ってしまうような状況や相手の存在に理由があるのだから、彼女のせいだとは私はどうしても思えないのである。


「ちゃんと言ってくれよ」というのは強者の、尋問側の、そしてしばしば男性の論理だ。ちゃんと言わせない相手、状況、そんなものはいくらでもある。そこで出た苦し紛れの笑顔や表現を奥ゆかしさや粋なはからいとして受け取るのではなくて、はっきり言えない事情をくみ取らなくてはならないのである。

なぜユキノは「自分は教員だ」と自分からはっきり言えなかったのかというと、そこを言ってしまうと、結局自分が高校で揉めている事情について自分で説明しなければならなくなるからだろう。もしそうすると、変な質問を受けたり、最悪なことを思い出したり、ロクなことにならないと思い知っているからだろう。だったら第三者に説明してもらうとか噂で察してもらうほうが安全なのだ。

タカオは、ユキノが「なぜちゃんと言わないのか」を真面目に考えようとしない。彼自身にも、他人に詳しく説明しないことや、はっきり意思表示しない場面だってあるにもかかわらずだ。彼は、仲良くなった人間にはそういう遠慮が無くなるのかもしれないが、誰もがそうだと思うのは間違っている。

ジェンダー的な立ち位置はいったん措くとしても、歳を経るとどうしても守りに入りがちになる。新しく構成されうる人間関係よりも、すでに続けてきた人間関係のほうが多く、それを失うのが怖くなる。だから遠慮なく自分の希望を通したり、自分自身について具体的な話をしたりできなくなる。ふとしたことで疎まれたり不快な干渉を受けたりして、関係が途絶えるのではないかと不安になるからだ。

また、自分が子どもの頃イメージしていた「きちんとした理想的な大人」になどなれていないことなど重々わかっているのに、年少者の前ではそういう姿を示さなければならないと締め上げられ、実際にそう見栄を張ってしまう。サボりたい、働きたくない、朝起きたくない、体調管理なんてできない、そういう事情を率直に語ることができなくなってしまう。

この点で、ユキノが27歳という年齢であることには意味があったと思う。まさに「ちゃんと言えない」ことが増えてくる年齢だと思うからだ。年をとれば度胸がついて、よりはっきり、遠慮なくものを言うようになるなんてことは無い。ますます身近な人の機嫌を伺い、憂鬱な見栄を張るようになるだけだ。


私はタカオの逆ギレに準じた解釈はしない。つまり、ユキノが悪意をもって教員であることを伝えなかったとか、戦略的に暗喩を使っていたとか、そういう解釈は取らない。それはどこまでも「なぜちゃんと言わないのか」を真面目に考えようとしなかっただけの言いがかりにすぎない。

そして、前述したような彼女の曖昧さを、短歌を使っているからエモいとか、何か彼女固有の美点のように捉える見方については疑問を感じる。はっきり言わないことになにか美しさや媚態があるとしても、その美しさを鑑賞する側が、同じ口で「ちゃんと言ってくれよ」とキレるとしたら最悪なのではないか? 言わせなかったのは、言わせなかった事情に思い当たらないのはいったい誰なのか? 


酷薄な告白

ここで、タカオの告白に立ち戻ろう。彼は、彼の好意や思慕の気持ちをユキノに伝えたわけであり、それを「教師」という肩書きを理由に無下にしてほしくなかったわけである。一人の人間として、ちゃんと向き合えということである。では、もし一人の人間として、歳の差も教師と生徒という肩書きも抜きにしたら、ユキノは彼の好意にどう応えるのだろうか。

その想定の上でも、彼女は「嬉しい、それじゃ交際といこう」という風には絶対応えないだろうと私は思う。

思い出してほしい。彼女はなぜ仕事を辞めざるを得なくなったのか。まさに自分の学校の生徒との間で、(事実かどうかはともかく)惚れた惚れないの話が発端で最悪な思いをしたからである。だとしたら、彼女はそういう話には心底うんざりしているのではないか? 好きだの嫌いだの、その気持ちを伝えるだの伝えてからどうするだの、全てに対して彼女が忌避感を持っていても不思議はないのでは? そんなにすぐ恋愛話に前向きになれる程度の事件だったなら、当時の恋人と駄目になったり仕事を辞めたいと思ったりするだろうか?

その人が過去に他人とどういういざこざを経験し、何に苦しみ何を避ける人間になってきたかということは、たんに教員とか生徒という立場と同じではない。それは立場を忘れるようには忘れることはできないからだ。

だから、彼女がもし一人の人間としてタカオの好意に向き合ったとしても、何か具体的に恋愛のプロセスを開始するような言動は返さないだろう。せいぜいその好意を有難く受け取り、自分もまたタカオに感謝と憎からぬ気持ちがあることを伝えるくらいだろう。つまり彼は普通にフラれるだろう。彼女がそれまでどういう状況にあったのか漠然とでも知っているならば、彼女を惚れた腫れたの先の事柄に連れ出そうとしたところで、気が乗らないのはすぐにわかるだろう。俗に言えばこの関係に脈などないのであり、脈があると思ったとすればそれは彼の勘違いであり、勘違いから告白すれば普通にフラれる。それだけの話である。

振られることを望んで好意を伝える人はあまりいないだろうが、かりにタカオが、教員とかそういう言葉で誤魔化さずに、正面から振ってくれればそれはそれでよかったと考えていたとしよう。それなら確かに、受け流すだけのユキノむかつくと思っても仕方がないところでもあろう。実際、そこで彼女がとるべき誠実な態度は、「『勘違いさせてごめん、でも君には感謝している』くらいはっきり言って、きっぱり水に流」すことだと感じた方もいるようだ。

それから、秋月君からの告白に瞬時に答えることができないなら、後でちゃんと断れよ、雪野ちゃん、と強く思う。何、たぶらかしてんのさ。「勘違いさせてごめん、でも君には感謝している」くらいはっきり言って、きっぱり水に流し、秋月君への責任とれよ。つまり、もう会わないと約束するか、きっぱり拒絶するかしてほしい。27年も生きて、一応、交際経験もあるんだし!他人の痛みくらいわかるだろ!!という雪野ちゃんへのいら立ちを激しく感じた。

映画『言の葉の庭』(新海誠監督)を観た - 「人生狂わすタイプ」

ここで言われていることはその通りだと思う。でも先述のとおり、きっぱり拒絶したり意思表示することができない人というのはいるもので、だからこそユキノは生徒との恋愛沙汰に巻き込まれたりするのだろう。そういう人だとわかったうえで告白をするのは、きっぱりと拒絶することを求めるか、もしくは(忌まわしい)恋愛の文脈に乗るか、その2択に相手を追い込む酷薄な行為ではないか? そういう状況に追い込んだ当人が、告白を無化されて逆ギレするのは猶更ヤバい。そこまでして逃げ道を塞ぐか。

告白がどういう意味を持つのか真面目に考えないと、こんな面倒くさくて嫌な事態になるのだなと思えてくる。告白は暴力的だと示唆する作品はいくつか見てきたけれど、ここまで考えた経験はなかった。その点では観てよかったかもしれない。


先に引用したブログの筆者・青い加藤 (id:blue_kasumizawa)は「雪野ちゃんから抱擁するのはなんなん?」と疑義を呈しているが、私も同じ気持ちである。結果的に勘違いさせるような言動をしていたのだとしても、現に自分を窮地に追い込んだり罵ったりしてくる人に、身体的に接近する必要はないと思う。あんたは告白して私とどうなりたいのか、と低い声で言い返すくらいはしてもいいのではないか。なぜ彼女ばかりが本心を隠していることになるのか。

「自分の意志を持てよ、率直に語れよ」という罵倒を聞いてすぐさま率直に胸のうちを語り始める人は、まさにそのことによって相手の命令に従う奴隷になってしまっている。泣いて自分のつらさを語り始めるだけでは十分ではない(涙というのは完全に自分でコントロールできるものではないので、意志表示から逸脱する側面もあるが)。彼女は劇的に変わってなどいないし、彼は彼女のことを配慮する術を知らないままだ。ではどうすればよかったのかわからない。私にはそれが苦しい。


その他

・互いが声をハモって「幸せかもしれない」と内心つぶやく演出があったけれど、そんなことは画面を見ていれば大体わかるわけで、あえて言われて興醒めした。幸せなときに「幸せかもしれない」って思うことある? あと謎に声をハモらせるところは『君の名は。』でもあったが、監督がこの演出好きなのだろうか。私は嫌いだ。

・ユキノ役の声優(花澤香菜)の泣く演技が迫真すぎて怖いほどだった。過去の苦い記憶が喚起された。


*1  ただし作品は、客観的な条件として両者は対等ではないことを織り込み済みで描いているようにも思われる。階段や姿勢の高低に、2人の立場の差を読み取る批評も存在する。http://himanande.blog.jp/archives/65790735.html

*2 また告白への対応とは別に、彼は部屋を去ったのち、自分のことを追いかけてきたユキノを見た当初「自分のことを大人として慰めにきたのか」「どこまでも自分を子ども扱いするのか」と思い反発を強めた、という解釈もある。なるほどと思う。
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q13171258538

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