ふじた『ヲタクに恋は難しい』について (1)

2023/05/30

初めて作品名を聞いたときのことは覚えていないが、人からの勧めで2巻相当まで読んだことがあった。当時からあまり合わなそうな雰囲気を感じていた(勧めた人はこの作品が好きらしかったので、その場では黙っていた)。続きを読んだのはじつに7年とかそのくらい振りだ。

最終巻の11巻まで読んでみると、それなりに面白かった部分もあったし、2巻までだけ読んで推薦者もろともなんとなく悪印象をもっていたときよりは印象がよくなった。とはいえ以下ではめんどくさいオタクの難癖も少なからず加わることを予告しておく。


作品の成立事情と後付けの設定展開

まず、作品の成立事情から確認しておくべきだろう。標題の作品は、イラスト投稿サイト「Pixiv」への連続投稿が話題を呼んだことから書籍化・連載作品となった。投稿当初、作者のふじたは商業出版には関わっていなかったから、本当に無償で趣味で描いた一次創作が人気を博して商業に乗った形だ。

無償で趣味で描いた漫画にありがちな趣がこの作品にもみられる。ラフ画に百字程度の設定を書きつけたものを添付して、キャラ同士の特定場面の掛け合いを断片的に描く。起承転結の起承について、設定画を以て省く当のスタイルはピクシブで幾つも見られると思う。

しかし、文脈も何もなくキャラクターを召喚し、あとは設定を箇条書きにするからわかってくださいというのでは、商業出版の漫画の一部読者に対しては理解が得られないようだ。おそらく、「『恋は難しい』とか言いながら速攻付き合ってんじゃねーか」「桃瀬がオタクを本当に隠しているようには見えない」といった突っ込みは、描きたい場面しか描かない拙速さに向けられていたのだと思う。ただこの拙速さは作品の成立事情からすれば仕方のないことだ。誰だって仕事でもなければ自分の描きたいところしか描きたくはないだろう(このブログもそうだ)。むしろそれを商業に載せる際の編集者に対してこそ、この批判は向けられて然るべきだったかもしれない。

また別の事情もあったらしい。Wikipediaによれば、この作品は1巻で終わる予定で、予想外の反響を得たために2巻以降も続けることになったという。そうなると、1巻で所与として描かれた諸々の設定は、過去エピソードの追加によって後付けで補完されていくことになった。

例えば1巻時点では、すでに互いをオタクとして認識し合った人々の掛け合いが主に描かれ、各々がどのようにオタクであることを「カミングアウト」*1 し、内輪を作ることになったかはほとんど不明だった。しかし、のちに話題となり続編を描くこととなった際には、各々の「オタバレ」のエピソードが補完されている。作中の時代では、「オタク」とはある種のスティグマだ(と登場人物たちは思っている)から、互いのカミングアウトの際にはきちんと、自身がオタクであることを互いにそれと断言せずに探り合う場面が描写されている(Episode.29)。その場面では、ゴフマンのいう「回避儀礼」や「パッシング」のようなことが行われ、慎重な自己開示の過程を簡便だが表現しようとする意志がある。この場で詳細に分析することはしないけれども。


オタクと対実在恋愛の希求

しかし作品全体を読み終わってみると、作品を通して描かれる主題はオタバレというよりも、様々なオタクたちが恋愛を含む親密な関係に対してとる様々な立場を描くことだったように思われる。作中で、オタクであることを、「一般人」の前で「カミングアウト」する場面は、その語彙の過酷な原義に比してかなり予定調和的である。それよりも、誰かと誰かが外出や会食やイベント参加やゲームをし、徐々に親密さを作っていく経緯に紙幅が割かれているようだった。


雑な問いかけをしてみよう。オタクは「(実在する人々に関する、自分も参画しうる)恋愛」を積極的に求めるか? この作品の答えは、NOでありYESである。

まず、二藤宏嵩がどのように恋愛に対峙してきたかを見てみよう。彼は、生身の人間との関わりよりも、ゲームのソロプレイに生活の大半を傾けることによって特徴づけられる。飲み会は断り、昼休みはずっとゲームをしている。学生の頃からずっと友達がいなかったため、友人の家に遊びに行ったことがない。書いてみるとかなり悲惨な気がしてくるが、本人は泰然としていて、それで自己憐憫に浸っている様子もあまりない。恋愛経験など時間の無駄だからなくてよかったと本気で思っていそうである。

かつて、出生時に男性と割り当てられたオタクの多くが「実在する相手との恋愛を望まない」と絶叫するような時代があった(本田透『電波男』、2005年)。今でも似たようなことを考える人もいるだろう。しかし、そういう人も(実在する人々に関する、自分も参画しうる)恋愛を心の底では求めているというのが、当時の世間の見立てだった。

この「実在する人との恋愛を心の底では求めている」という見立ては、二藤にも当てはまっている。彼は普段はゲームにしか興味がないような風だが、実在の幼馴染(桃瀬)への恋愛ファンタジーを持ち続けてもいたことが明かされる(2巻)。「宏嵩でもキスしたいとか思うんだね」と桃瀬に言われると、「……俺も男だからね」と返す(「男」という言葉に意味の負荷をかけすぎでは?)。彼は、桃瀬が学生時代に友達をたくさん作り恋愛をしてきたことについて「先に大人になった」と内心で思ってもいる。これだけ見るとかなり保守的である。かつて、美少女ゲームに熱中する人々こそがヘゲモニックな男性性を保持し続けていると厳しく指摘した宇野常寛のことを私は思い出す(二藤はギャルゲーについては専門外と主張しているのだが)。

ただ、二藤については全く別種の揺らぎもある。11巻の彼は突如、桃瀬への感情は恋愛感情としてのものか、それとも友人としてのものかわからないという問いを放つ(というのも、彼は友人と呼べる人が本当におらず、桃瀬がほぼ唯一の友人であり恋人だったらしいからである)。その問いに対しては、彼の弟の直哉によって、(桃瀬への)好きという感情の強度が強いように見えるからどうでもヨシ、という形で解答が与えられる。一見クワロマンティックぽい問いと答えでもある。しかしその割には、作品を通して旧来のとおり恋人関係とその他の関係は厳然と区別されているようでもあり、私は作品全体としてどう受け取ればいいのか困惑させられている。

桃瀬もまた、対実在恋愛に対するスタンスが独特で一筋縄ではいかない人間に私からは見えている。彼女は、一年付き合った恋人にオタクであることを打ち明けた結果、ドン引きされ別れたという履歴を持っているとされる。オタクであるために何らか問題のある状況が発生したのではなく、「打ち明けた」だけで別れるというのが自分としてはうまく想像つかないのだが(男の方になにか他の別れたい理由があったのでは?)、それはともかく。自らがオタクであることが災いして恋愛がうまく行かずつらい目に遭い、そしてオタクであることをやめる気もないのなら、オタクである限り恋愛自体もう要らないという方針(たとえ建前でも)にはならなかったのだろうか? 酔っ払って「次の彼氏は」という発言を繰り出す彼女は、何度ダメになろうと、恋人を探すこと自体は既定路線のようである。このように、実在する相手との恋を絶対に諦めない、いくら傷付いても食らいついていく姿勢は、彼女が今もどこか共感を寄せている*2 少女漫画(ただし特定の時代の一部の作品群)の精神だ。

彼女には一定程度の(実在の相手との)恋愛経験があり、そのことを他人に提示するにあたって特に気取りもないために、作中の男性オタクたちとは異なり「(実在する人々に関する、自分も参画しうる)恋バナ」を素直に楽しむことができる。こういう歪みの無さが彼女の魅力の源泉でもあり、私のような人間には理解が追いつかないところでもある。

次は桜城光(さくらぎ・こう)の恋愛に対するスタンスを見よう。といっても、序盤のS *3 はそもそも人間関係全般において回避気味であり、恋愛とかではなくまともに会話したり挨拶し合ったりする友人関係を作ることすら難しかった。ただ、二藤直哉と知り合っていくうちに、Sは直哉の友人たちと話したりバイトを始めたりという方向にも向かっていき、他人と継続的に関わっていくことができるようになる。しかし一方で、Sは恋愛をすることを何か特別すごい人々の営為のように捉えてもいて、自分はそういう世界に踏み出すべき人間ではないと考えている。描写から察するかぎり、Sは相手から伝わる緊張や戸惑いにつられやすく、人間関係の中でのストレスが身体に長く残りやすいタイプなのだろう。だからSは恋愛関係を神格化しつつ、実際に自分がその中に参入しそうになると、身体がついていかず苦労することになっている。ゼロ年代男オタクめいた「酸っぱい葡萄」的虚勢はないが、ただ疲労によって態度決定が遅延する・回避されるのが、桜城の恋愛に対するスタンスなのだ。

学生時代からの長いカップルである樺倉・小柳については、作中で新しい恋愛は求めないのであまり語るべきことはなさそうだ。彼らは高校生で付き合い始め、就職して30歳も見えてきたところで結婚に至るので、まあそういうことである。割とこの2人は、オタクであってもそうでなくとも、恋愛へ踏み出すことに影響はなかったのではないかという気がする*4

ただ長い付き合いの彼らであっても、オタク趣味を完全に共有しているわけではないことが描かれている。例えば小柳はBL作品を愛するが、樺倉はR18シーンの多いBLは苦手である(少女漫画は読む)。また彼は、男性向けの18禁コンテンツはさすがに相手と共有したくないと思っている。共有できる趣味の範囲が相互理解の限界を象徴している。知人に聞くところによると、マッチングアプリで相手を求める際にはよく「趣味を許容してくれるか」あるいは「趣味を一緒に楽しめるか」ということが確認されるらしいが、本当だとしたら彼らの描写に共感する人も多いのかもしれない。

こうして主要人物(オタク)たちの対実在恋愛へのスタンスを確認していくと、対実在恋愛は当然するものであるとか、成熟の証であるとか、素晴らしいものであると想定されており、結果だけ見ればみな同じように実在の相手との恋愛に回収されていくように見える。しかし、各々がどのような振る舞いでもってその前提に応答しているかはかなり異なる。対実在恋愛という事柄に向かって脇目も振らず全力疾走しているのか、横目で様子を伺いつつにじり寄って(あるいは距離を詰められて)いるのか、すごく高い場所に位置づけ息を切らしながら登るのか、様々である。よく知らない同カテゴリの事物はみな似たように見えるものだが、主要人物たちについて一応それなりの情報を得た今では、それぞれのオタクの違いのほうが私には目につくようになっている。


恋愛ものとしてのディテールについて

登場人物たちの恋愛のスタンスはひとりひとり違っていて興味深くはあったのだが、では恋愛ものとしてのディテールはどう仕上げられていたのかというと、先に言及した趣味の共有などの部分を除いてはかなり杜撰である。絵柄や価値観の上で連続性があるだろう、同時代の少女漫画やTL(ティーンズラブ。とりあえず今回は両ジャンル同列に扱う)とは比べるべくもない。それらのジャンルと共通する評価軸から作品を見ていくと、以下のようになる。


・仕事の描写が致命的に雑
アマゾンレビューでも散々突っ込まれているところだが、不況を経て未だ社員にお茶汲みをさせている企業など稀だろうし(地方の中小企業で、業界によっては続いているが)、内勤の人がずっとスーツ姿というのもよくわからず、そもそも何を扱っている会社なのかが一切描写されていない。同僚の名前すら覚えない二藤が「仕事ができる」ことになっているのはどういうわけなのか? 20代以降が主人公の近年のTLや少女漫画でこんな描写をしていたら、オフィスラブというよりファンタジーである。

出費のかさむオタク趣味を持つ人々が、たとえ金のためだとしても自らの仕事に具体的な関心を持って臨むことは十分に考えられるし、むしろ今では大半の働くオタクがそうなってしまったのではないかと私は思う。必死に働いて稼いで推しに貢ぐという逸話はあちこちから聞こえてくる気がする。しかしこの作品の仕事描写は、そうした人々の目線に合わせようという意志がまったく感じられない。制作チームが現実に働く人々について取材する気がまるでなかったのか、働く人々を読者層として想定しなかったのかは知らないが。しかしそれでたいへん売れたというのは不思議な気もする。


・職場恋愛に躊躇いが無さすぎ
職場恋愛について人々に葛藤が見られなさすぎる。例えば樺倉と小柳の痴話喧嘩は同僚に目撃されているが、何も知らない人が見たらパワハラ・セクハラ以外の何物でもないと思う(ちなみに樺倉は他の3人からすると上司)。あるいはかつて職場恋愛のこじれで会社を辞めている桃瀬にとっては、同僚の二藤との付き合いは「気恥ずかしい」どころか今の生活を賭けたギャンブルに臨むようなものではないのか。なぜそんな危ない綱を渡って余裕なんだろうか。よほど彼とうまくやれる自信があるのか、単に向こう見ずなのか、頼れる実家やその他の経済的安全策があるのかと勘繰ってしまう。

現代のオフィスラブ作品では、上の立場にある者は不意のセクハラ・パワハラが発生しないようにかなり気を遣い、社員が何も不安なく仕事に集中できるような環境を作るため本気で努力する傾向が生まれてきている。その状況を所与として、もはや不可能と思われる職場恋愛がどんな形で成立しうるのか(あるいは棄却されるのか)、諸作品は実験を行っている最中である。ここではわずかに作品名を挙げることしかできないが、いずれ稿を改めて多数紹介したいと思う。


・「幼馴染と職場で再会する」という奇跡
これは現代のオフィスものTLでもよく見られる設定である。幼馴染という属性を付与しておくと、後から後から様々な幼少期のエピソードを描くことができるため、話を作る側とすれば大変便利なことだろう。ただ私がいつも疑問なのは、何やら都市部らしいところに企業が何社存在しており、その中で偶然過去の知り合いと同じ会社と部署になる確率がどれほどあるのかということだ。そういう無駄な想像が働いてしまうので、個人的にはあまり好きな筋立てではない。

ちなみに、この簡単にはあり得ない出会いを合理的に説明するため、「幼馴染に懸想する男がその家族に連絡をとって就職先を聞き出す」という描写を行った作品が存在している(→ 只野あしがる『一途すぎる幼なじみに溺愛されてます ~わんこカレの本性はヤラシイ狼!?~』)。ストーリーとして筋が通ってはいるが、個人情報という概念がなさすぎて笑うしかない。


・顔のないナンパ男、それを撃退する主要人物(男)
この要素は作品によって割と様々に展開されるが、もはや恋愛物の必要条件といえるほど定番である。誇張なしに3桁は見てきた。当の作品では、主要人物たちが夏祭りにでかけた際、一行からはぐれた桃瀬が顔のないナンパ男に絡まれる。そしてそこへ二藤(や樺倉)が現れ撃退するという流れである(Episode 33, 34)。まあこれは、二藤のほうも実は怖がっていたという描写があったり、桃瀬がつい茶化してしまって相手に強く出られなかった、切り抜けた後もずっと怖い感情が残り続けるなど、作品の中ではかなり繊細で印象的なシーンではあった。


・家事の存在を描かないか、女性キャラに任せきり(特に食・住)
二藤は特に友人が多いわけでもなく基本的に不精であるのに、無駄に広い部屋を借りて完璧に維持していたりするのはかなり謎である。また登場人物たちは自炊をしている様子もなく、ふだん家で何を食べているのかまったくわからない(集まった際は持ち帰りのピザなどを食べている)。この物語では、レディースコミックやティーンズラブで描かれてきたように男性が手際よく調理したり掃除をしたりする様子はなく、当然のこととして女性陣が家事に回り、それで物事がうまく進んでいく。よくトラブルにならないなと思うところだ。私は、関係が長くなるにつれ職場と家のダブルワークでオタク趣味が不可能になっていく女性陣の姿を幻視して、やるせない気持ちになってしまった。タイトルに忠実に「オタクが親密圏を築く困難」を扱うつもりだったのならば、このようなケアの等閑視に触れずにすますことはできないだろう。

二藤がホワイトデーの贈り物を何にするか奔走するというのは、まあ相手の配慮に反応を返す責任と言えるのかもしれないが、また別の話のような気もする。マイナスをゼロに戻すような不毛な労働を抜きにして親密圏は成り立たないが、それが当作では一切骨抜きにされている。


・財布事情は不問?
普通に考えて、オンラインゲームで学生が財布事情の話をしないのはおかしいだろう(そもそもゲーミングPCは決して安くはない)。社会人チームはというと、皆よく飲みに行って、イベントにも出て、一人暮らしをしつつ、ゲームにも課金しているとは、随分と経済的に豊かなのだなとみえる。めちゃくちゃ煙草を吸ったり、結婚しようとしたタイミングですぐできるのもいるし。一体どういう金の管理をしているんだ……。



血眼になって読み返せばまだまだ別の視点からも見ることができるだろうが、さすがに気が滅入ってきたので打ち止めとする。

自活する人々の恋愛と、保護者の管理下にあり養育される人々の恋愛で一番違うことは何かというと、日常生活を忘れるわけにはいかないということである。溜まった洗濯物のことも夕飯の献立のことも、人事からの通報も給料日までの残高も忘れて恋愛できるのはかなり特殊な条件下のことでしかない。その無用の労苦に制限されていることが、大人の恋愛とそうでないものを分けている。そういう理不尽な制限下にある者同士がどうやって親密になるかが大人の恋愛ものの難しいところであり、エキサイティングなところであるはずだ(これは学生の恋愛がくだらないとか容易いという意味ではない)。その一番面白いところをスポイルしてしまったこの作品は、大人の恋愛ものとしては評価できるものではないと私は思う。登場人物みなが大学生や高校生でこういう話だったのなら、もっと割り切った気分で楽しめたのかもしれない。とはいえ、少女漫画では高校生にして家事をさせられていたり養育者と心理的距離があったり、貧困のためバイトや勉学に打ち込まなければならない等の登場人物も珍しくない。二次元だろうと三次元だろうと、高校生がみな自らの生活の維持を忘れられるユートピアに生きているわけではない。

ただ生活して部屋も荒れず服もヨレず残高も無限でいくらでも転職が効くような、身の回りのお世話を身近な女性がやってくれる世界で、恋愛の難しさとは何なのか。それは少なくとも、働く人々が現に対峙する、日常生活と恋愛を和解させる難しさではない。それは『ヲタクに恋は難しい』の中では最初からクリアされている。この作品で示唆された「難しさ」とはもっと観念的で、それぞれの恋愛に対するスタンスに生じていく、いくつかのパターンの歪みのことなのだ。


(続く)


*1 現代では、言いたくない自分の秘密を話すことという意味で広く使われているが、元々はアメリカにおけるレズビアンとゲイの権利運動の中で使い始められた言葉だったことは銘記されてよい。

*2 Episode.22等を参照。

*3 このひとのSOGIとかSEについてはよくわからずめんどうくさいので、とりあえず桜城の代名詞は彼でも彼女でもなくSとする。

*4 というか付き合い始めた時点では小柳にオタク趣味は無い。4巻参照。

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